子供の頃によんだ空想科学の本には、未来にはこんなことが実現される、と書いてあった。
宇宙旅行、アメリカまで続く海底トンネル、小さな無線電話、壁掛けテレビ、地底への冒険、透明なチューブのような立体道路、歩かなくても目的地まで到着する動く歩道、自動操縦の車、アンドロイド、なんでもできるコンピューター、1999年地球滅亡。
確実に違ったのは1999年地球滅亡、ノスタラダムスの大予言。無事?に2000年を迎えてしまうと、実は予言は2001年だった、という話がでてきたりして。でも2001年にも地球は滅亡しなかった。多分、地球は当面滅亡しないし、人類もいなくなりはしないだろう(新型インフルエンザや世界恐慌で大打撃をうけることがあっても)。いまの大人はみんな知っている、自分の存在する社会にそんなにドラスティックな変化はないであろうことを。
この数十年間で実現した、と明言して良いものは、壁掛けテレビと携帯電話だけだと思う。一方、当時予想されていた人間をこえるコンピュータ(記憶や計算といった点においてはコンピュータの圧勝だが、発想したり思考したり感情をもったりという意味で)は登場せず、当時予想されていなかったインターネットが世界を制圧した。インターネットで玉石混合のあらゆる情報が飛び交うことで、知らなくてもいい情報まで手に入る。今の大人はバブル経済とその崩壊を経験して、経済的なばら色の未来は存在しないことを知っている。携帯電話と壁掛けテレビしか登場しなかったことも知っている。明るい未来を空想できなくなったのは自分の年齢のせいじゃないの、と奥様は言うが、それ以外にもこれらが日本人みんなに作用しているからじゃないんだろうか?
いわゆる「もの」への欲望は、人類の発展に間違いなく寄与してきた。一方で心や内面の充足とか愛とかというのも、おそらく大昔からいわれているはずで、これからは「もの」より「こころ」です、なんていうのも、何をいまさら、という気もする。エコロジーは嫌いじゃないけど、そこに未来への発展を見出すのは難しそうだ(エコロジーというのは今の「負(マイナス)」をへらすことであって、「正(プラス)」を増やすためのものではないように思われるからだとおもう。)
忙しい日々の合間にふと思う、これから僕らはどこへむかうんだろう?